正解と不正解(5)
そう短く言って、彼は俺の腕を引いた。
視界が反転する。背中にマットの硬い感触が触れる。
「……っ」
俺は、胸ぐらを掴んで見下ろしてくる類を見上げた。
彼は鼻に皺を寄せて、口の端を引き攣らせた。
「……なんかさ、蒼悟見てるとめちゃくちゃ凶悪な気持ちになる」
「どうしてだ?」
「お前の裏表ないとこ、羨ましくて、妬ましい。他人の顔色伺わないで、どこまでも自分のこと貫けるとことか」
「お前もそうしたらいい」
「できねぇよ。俺には……隠し事が多すぎる」
低く笑う。それから彼は俺の胸に額を押し付けた。
「俺はお前とヤッてもいいと思ってる。でもそれは好きだからだとか、そんな理由じゃない。俺に惚れてるってわかってるからだよ。ヤッたらますますコントロールしやすくなるだろ」
俺はそっと類の背に手を回した。
体操着は汗で少し湿っている。
「酷いだろ? お前は俺の秘密を知ってるから、口止めしないといけない、なんて考えちまうんだ。これでもお前のこと、結構気に入ってるのに」
本当に酷いなら、たぶんそんなこと言わないんじゃないか。
それとも、こう言った方が効率的で合理的だと、そこまで判断しているのだろうか。
だとしても俺の感想は変わらないと思った。
騙されても、コントロールされても、俺は気付けないし、気付かないなら類が酷いやつになることもない。
「蒼悟はさ、なんで俺なんかに関わろうとするんだよ。俺はお前の気持ちには応えられない。そもそも……俺は一生誰のことも愛せないと思う。セックスもそう。なんつか、そこに心の安らぎとか、そういうのがあるとか思えねぇんだ。ツールでしかない。……どこまでも自分本位の、クソ野郎なんだよ」
「お前が誰のことも愛せなかったとして、何が問題なんだ?」
問えば、類は顔を上げた。
形の良い眉を寄せて訝しげにする。
「……問題だらけだろ。お前のこと、いいように使うだけかもしんねぇよ?」
「別に。愛されたいからお前に惹かれたわけじゃない」
髪に触れた。
類がゆっくりと瞬きをする。
「そういうとこも引っくるめて、全部なんだろう? 俺は受け止めるって約束した」
類が間に入ってくれたことで俺の世界が変わったように、もしかしたら俺がいることでいつか彼も誰かを好きだと思うことがあるかもしれない。
そうしたら、それ以上に嬉しいことはない気がする。
「……あーもー」
類は笑っているような、苛立っているような複雑な声を漏らすと、俺の胸に頭を何度か打ち付けた。
「類……?」
「……ホント、ムカつく。お前の、そういうとこ」
「ごめん」
謝ると目が合った。
唇が触れる。
忍びこんできた舌に舌を絡めれば、類の手が俺の下腹部を弄った。
「……っ、ど、こっ、触って……」
「……ここ、しゃぶっていい?」
「――っ」
返事をする前に、ジャージを下着ごと引き下ろされる。
そのまま彼は固くなったソコを口に含んだ。
「ぅっ……」
ぬめった熱い感触に腰が浮く。
卑猥な水音が耳から侵入してくる。
根本にわだかまった熱が弾けるまで、そう時間はかからなかった。
「ん……」
上目遣いで類が笑って、口を離す。
それから口中を見せつけるようにしてから、口中に溜まっていた白濁を飲み込んだ。
「はや……そんなに良かったんだ?」
ズボンを元に戻してクスクス声を上げる。
俺は身体を起こすと逆に彼を組み敷いた。
「蒼悟?」
「……俺も舐める」
「え……」
驚いたように目を見張る彼には構わず、ジャージを引っ張った。
それを類が阻止する。
「な……なにしよーとしてんだよ!?」
「だから、類がしてくれたみたいに俺も舐める」
「ちょ、まっ……」
「……類はされるのは嫌なのか?」
首を傾げれば、類はおずおずと言った。
「……俺、男だぞ?」
何を当たり前のことを言っているんだろう。
「俺も男だ」
「そうなんだけどさ。そうなんだけどもっ」
「ほら、俺は初めてってわけじゃねぇし。でも、お前は……」
ひとまず嫌なわけではないらしい。
俺は類の両手を掴んでどかすと、今度こそ下着を引き下ろし、緩く勃ち上がるソコにパクついた。
「ん……蒼悟っ……」
汗の香りが鼻先をくすぐって、全身の血が沸騰しそうだった。
「はぁ、はぁ……お前は、んなことしなくていいんだよ……っ、する理由がねぇじゃん……」
理由ならある。たぶん、類よりたくさん。
屹立を扱き、先端部分を吸う。
竿肌が脈動してソコはすぐに固くなった。
俺の頭を押しやろうとしていた手が、髪を掴む。
荒い呼吸が聞こえてくる。
「……蒼悟、口離せ。出る、からっ」
首を振った。
自分は飲み下したくせに、どうして俺にはさせないつもりなのか。
「やば、出る……っ」
跳ねた屹立が、生温かな粘液を噴き上げる。
俺は口を離すと、構わず飲み込んだ。
こちらを驚いたように見ていた類は、頬を染めて顔を背けた。
「類。気持ち良かった?」
「おう……」
そそくさとズボンを元に戻しながら、彼は頷いた。
その表情があまりに愛おしくて、俺は彼に口付ける。
「んっ、んんっ……」
もっと触れたい。
類の全部が欲しい。
と、容赦ない手刀が頭に落ちた。
「バカッ! フェラした口でキスすんな!」
その後、6限に体育があった生徒が俺たちを見つけてくれて、無事倉庫から出ることができた。
その後はずっとそわそわしていた。
ホームルームを終えた途端、俺はすぐに類を連れて誰もいない家に帰った。
まるで熱病に冒されたように、そのまま彼をベッドに組み敷き身体を重ねた。
蜃気楼のような時間だった。
類は積極的に俺の服を脱がしてきたくせに、いざ抱いてみればひたすら声を押し殺していた。
それが悔しくて、意地になった。
そんな俺を類は笑った。
淫らなことをしているのに、彼はゲラゲラ腹を抱えて笑ったから、俺もお返しとばかりにくすぐりまくった。
気がつけば、類の声に甘さが交じり、濡れた眼差しがふたつ交差して、唇が赤くなるほどキスをしながら俺たちは一緒に果てた。
恋人同士のセックスとはたぶん違った。
汗ばんだ身体を投げ出して類を抱きしめている時の気分は、夏の大会が終わった後の夕空を見ている時に似ていた。
それから、ふたりで風呂に入った。
足の間に類を座らせて、背中から抱きしめるようにする。
「親、帰ってきたりしねーの」
肩まで浸かりながら、類が不安げに言った。
「うち両方とも遅いから」
「ふぅん……」
会話が途切れる。
俺はそっと類を抱きしめると、気になっていた、背中の痕を尋ねた。
「これ……タバコか? 父親にやられたのか」
彼の真っ白な背中にあった、数カ所の赤黒い痕。
類はゆるりと首を振る。
「いや、俺がやらせた」
「やらせた……?」
「親父、自傷癖あってさ」
彼は俺の腕を自身に巻き付けるようにして続けた。
「両腕、二の腕の辺りまでボロッボロなんだよ。見てられなくて、もう傷つけるスペースもねーしで、俺にやれよって」
「そんなのおかしい」
「俺が全部悪いから。おかしいとしたら、親父の傷の方だ」
類は濡れた腕を伸ばした。
手のひらを裏返して、たまったお湯を逃がしたりする。
俺はその手に手を重ねた。
「母親が死んでからさ、親父めちゃくちゃ頑張ってたんだ。泣く暇も無いくらい。仕事に子育てに、たくさん……俺はさ、それを当たり前だと思ってた。親父だってつらいのに、そういうとこ、全然わかろうともしなかった」
指を絡めれば、類が指先にキスをした。
「大人は強いから傷付かないって信じてたんだ。……酷いよな。親だって、人間なのに」
「それで……?」
「中一の時かな、俺は親父が嫌いで、いろいろあった不満ぶちまけた」
寄りかかってきた類の濡れた髪が頬に触れた。
「……なんであんなこと言っちまったのか、もう覚えてもいねぇ。本当、些細な理由だったんだ。でも、それで親父の中の張り詰めてた何かがプチンッていっちまったんだろーな。親父……首吊ったんだわ」
そう話す類の声は、どこまでも穏やかだった。
「運良くさ、ちょうどこう縄を首にかけた時に、俺、見つけて。死にもの狂いで助けたよ。
親父はずっと泣いてた。情けない父親でごめんって。……それで俺はやっと父親もつらかったんだって気付いた。何もかも遅かったけどな。
それからは自殺するようなことはなくなったけど、酒に逃げるようになって――今に至る」
彼は俺の手を離した。
俺はまた彼のお腹に手を移動した。
「親父が壊れちまったのは俺のせいなんだよ」
「俺はそうは思わない」
「でも、そうなんだよ。親父は被害者なんだ」
繰り返し否定しても、類の考えが変わることはないだろう。
俺は言葉を探した。
と、沈黙を類の呟きが破った。
「……悪い。暗い話した。忘れてくれ」
「わかった」
自分は類にどうして欲しいのだろう?
濡れた背中の痕を目で追いながら心の中で問い掛ける。
彼が傷つかない方法を知りたい。
どうしたら、彼が傷つく理由はないと説得できるんだろう。
「蒼悟……?」
俺は、火傷痕に唇を押し付けた。
類の全てを飲み込んでしまえたらいいのに。
傷ごと俺の中に収めて、閉じ込めてしまいたい。
そうしたら、誰ももう彼を傷付けられないのに。
「……くすぐってぇよ」
類がいつもの笑い声を漏らす。
俺は彼の項に顔をうずめて、少しだけ泣いた。