ファミリア・ラプソディア

正解と不正解(4)

* * *

 夏休みも間近に控えた頃。

「あー暑ぃ……」

 俺は類と一緒に体育館倉庫で授業で使ったハードルを片付けていた。
 類は不服そうだったが、俺はちょっと、いや、かなり嬉しかった。いつも近くには帝人と寧太がいるし、バイトや部活もあって、なかなかふたりきりにはなれなかったから。

「あの薄情者め……なーにが『チョコ焼きそばが売り切れちゃうから』だよ。あんなの食うのニャン太しかいねぇっつの……」

「意外とうまかったぞ」

 俺が応えると、跳び箱に倒れ込んでいた類がガバッと顔を上げる。

「お前、食ったの!?」

「うん」

「えーマジ? うまいの? ……いや、でも……うーん……」

 そう呟いて悩ましげにする類。
 俺はふと彼の唇に目が釘付けになっているのに気付いて、慌てて目線を逸らした。

 初めて唇に触れてから、気が付けば目線はそこばかりを追ってしまう。

「お前さ、さっきから近付いたり離れたり……挙動不審になってんぞ」

「……そうか?」

「面倒だからこっちこい」

「なんで」

 戸惑っていると、ジャージの胸ぐらを掴まれた。
 そのまま唇を塞がれる。

「……っ!」

 驚いて硬直していると、類はケラケラと笑った。

「お前、顔は真っ赤になるのな」

「誰かに見られたら、お前は……困るんじゃないのか」

 自身の口元を手の甲で押さえる。
 顔が熱くて、類のことを真っ直ぐ見られない。

「誰もいねぇよ」

 束の間、逡巡してから俺は類を抱き寄せた。
 それから再び唇を重ねた。

「舌は入れんなよ……唇赤くなったら、また怪しまれるから……」

「……わかってる」

 俺は彼を壁に押し付け、何度も触れるだけのキスを繰り返す。
 と、物音がして、俺たちはびっくりして顔を離した。

「……誰か来た」

 女子の賑やかな声が聞こえてくる。
 何か片付けに来たのだろうか。

 俺たちは跳び箱の影に身を潜めた。
 倉庫内はそこそこ広く、彼女たちはこちらに気付いていないようだった。
 胸を撫で下ろしつつ、息を潜めて誰もいなくなるのを待てば、類が悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「静かに、な?」

 首に手を回され、ズルズルと床に倒れ込む。

「ん……っ」

 そのまま覆いかぶさるようにして彼の唇を味わっていると、ガチャリと無機質な音が耳に届いた。

「……え?」

 ふたり顔を見合わせる。
 急いで入口に向かえば扉は外から鍵をかけられていた。

「うげ。扉、開かねぇ」

 類がガチャガチャとドアノブを回すが、扉はうんともすんとも言わない。

「おーい、誰かー」

 声を張り上げる。
 しかし気付いてくれる者はなく、楽しげな談笑の声は遠ざかっていってしまった。

「ニャン太たちに連絡すれば――って、携帯ロッカーの中じゃん」

 ポケットに手を突っ込んだ類が頭をかかえる。

「……なあ、蒼悟。5限って体育あったっけ?」

「さあ……?」

 昼休み始まりを告げるチャイムが鳴ったが、グラウンドはしんと静まり返ったまま……

「これ、午後に体育の授業なかったら部活が始まるまで気付かれないパターンじゃね」

「そうかも」

「やらかしたー」

 ガクリと肩を落とす。

「まあ、いいや。とりあえず、窓の近く行ってよう。風ねぇと暑くて死ぬ」

 格子のはまった窓近くに移動し、俺たちは尻の下にマットを敷いた。
 類が手を仰ぎ、風を作る。
 その首筋を汗が伝う。

 俺は落ち着かない気持ちになって、彼から距離を取った。

 昼休みは1時間もある。

 ふたりきりなのは嬉しいが、こんな風にまとまった時間を得るとは想像だにしていなかったからどうしていいかわからない。
 いつもの調子で近づいたら、危うい気がする。

「おい、蒼悟。なんでそんな離れてんの」

「別に……」

「別になに?」

 触れたい。さっきみたいに、唇に。
 汗の伝う首筋に。浮いた鎖骨に。

 必死で押し隠そうとしたが、たぶん類には全て筒抜けだ。

「蒼悟?……おーい、蒼悟」

 無邪気に俺の顔を覗き込んでくる類に、心臓の鼓動が痛いくらいに早まって、俺はますます身体を縮こまらせるとマットの端に移動した。

 ジリジリとセミの声がする。
 停滞して淀んだ空気が、温度を上げていく。

「……暇だし、ゲームでもすっか」

「ゲーム?」

「そう。お互いに質問題出して、それに答えられたら左に移動する。答えられなかったら、その場に留まる」

「???」

「お前、今は俺にくっつきたくないんだろ? なら、俺の質問にしっかり答えて、俺が答えられない質問するんだぞ」

「いや、俺は……」

 まだやるとは言ってない。

「俺の言うことはなんでも聞いてくれんじゃねぇの。あれ、ウソだったんだ?」

 受け入れるとは言ったけど、何でも言うことを聞くとは言っていないが……些細な違いだろう。

「……嘘じゃない」

 頷けば、類は楽しそうに口の端を持ち上げた。
 彼は俺で時間を潰そうとしているのかもしれない。

「じゃあ始めるぞ。蒼悟の好きなタイプは?」

「た、タイプ?」

「制限時間10秒な。10、9、8……」

 タイプって、類のことを言えばいいのか?
 だが改めてどこがいいのか聞かれたら、全部好きで、具体的には応えられなかった。
 いや、タイプだから一言「類みたいな人」とでも答えればいいのか。だが、類がいいのであって、類みたいな人がいいわけでもないし……

「3、2、1……はーい、時間切れ」

 類が近づいてくる。

「次は蒼悟の番」

 俺は身体を強張らせつつ、じっとバレーボールの入ったカゴを見つめる。

 類が答えられないもの。
 答えられないもの……

「う、生まれた時間は?」

「8月22日の7時36分」

 即答だった。

「どうして知ってる……?」

「前に占星術?みたいなのやってもらったことあって。母子手帳で調べたことあるんだよ」

 類がまた俺に近づいた。
 次、答えないと腕がくっついてしまうんじゃないか。

「何訊こうかな~」

 類は鼻歌なんて歌いながら、思案していた。
 どんな質問が飛び出してくるか見当も付かない。
 カウンターで、生まれた時間を訊かれても答えられないな……
 そんなことを考えていると、

「俺とキスすんの、好き?」

 飛んできた質問を耳にした瞬間、口から心臓が出そうになって俺は慌てて手で覆った。
 好き、と答えたら、またキスされそうだった。
 でも、今されたら困る。たぶん、止まらなくなる。だが口が裂けたって嫌いだとは言えない。言いたくない。

 言葉に詰まっているうちに、またカウントダウンが終わってしまった。

「今のはラッキーチャンスだったんだけどな。ハイかイイエの2択だし」

「……」

 触れるか触れないかの距離に類がいる。
 頭の中がぐるぐるする。
 たぶん、どんな質問でも類は答えられる気がした。俺より遥かに色んな事を知っている。

 答えられないこと。

   身体が熱い。

 答えたくないこと。

   心臓の音がうるさい。

 俺は浅く呼吸を繰り返してから、口を開いた。

「お前はどうして……どうして父親と寝てる?」

 言ってから、俺は自分の無神経さに気付いて血の気が引いた。

「ご、ごめん。今の質問は変える――」

 類の顔を見ずに、慌てて付け加える。  と、

「……親父、酒飲むと現実と妄想の区別がつかなくなるんだよ」

 思わぬことに、類は口を開いた。
 ハッとして横を向けば、彼は投げ出した足先を見つめて続けた。

「で、俺のこと死んだ母さんと間違えてんの。本人はあんま覚えてなくて幸せな夢見たって喜んでるからそっとしてる」

 それから俺を見た。

「答えたぞ」

 類が最後のスペースを攻めてきて、腕が触れた。
 俺は掠れる声を絞り出した。

「……俺の、負けだ」

「いや。次で最後だよ」

「最後?」

 これ以上、彼はどこに移動するつもりなのか。
 もしかして心臓が止まりそうな俺に慈悲を与えてくれるつもりなのか……
 しかし、そんな期待は軽々と裏切られた。

「蒼悟は俺とセックスしてぇ?」

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