秘密と嘘(6)
校庭からは賑やかな昼練習の声がする。
俺はそれを何処か別の世界のように聞いていた。
「ニャン太も言ってたろ。詮索するようなことするなよ」
類はひとつ溜息をつくと、口を開いた。
俺は彼の前に立つとゆるりと首を振る。
「確かに、今さらケガの理由を知ってもソウの中退は覆らない。でもね、俺はそれでも……知りたかったんだ」
1度言葉を切ると、類の様子を窺う。
シャツの1番上までボタンを止めた白いシャツ。青いネクタイは少し崩れている。
彼がプールの授業に出ていたのを見たことがない。
喘息持ちで身体を冷やすと咳が出ると聞いていたから不思議にも思わなかった。
女子にせがまれて体育祭の応援団になった時は、具合が悪くなるんじゃないかって心配したっけ……
「ソウの足のケガを診たの、俺の叔父さんだったんだよ。叔父さんは詳しいことは何も話してくれなかったけど、彼のケガは事故じゃなくて人為的なものだと思っているみたいだった。
ソウは誤解されやすい性格だし、1年でスタメン入りしてたしで面白く思わない先輩もいただろう?
だから、そのせいで暴力沙汰にでも巻き込まれたんじゃないかって、初めは疑ったんだ。でも、違った」
陸上部の部員たちは、ソウの引退にとても衝撃を受けていた。仲間のケガに同情し、酷く悲しんでいた。
「じゃあ、ソウは何故ケガをした? 部活を辞めなくちゃならないようなケガをどうして……」
俺は目線を窓の外に向ける。
冬の晴れた空は、高く青く澄んでいる。
「ソウにも何度も連絡したよ。でも、相変わらず何の返信もない。先生も部活の生徒もクラフメートも……誰も何も知らなかった。だからもう真実を知ることは無理なんだろうと思ってたんだ」
俺は類に視線を戻すと、真っ直ぐ見つめた。
「……三者面談の時、君のお父さんにたまたま会うまでは」
「親父……?」
類の瞳が戸惑いに揺れる。
俺は静かに頷いた。
「あの日、君のお父さんは俺に訊いてきたんだよ。ソウのケガは大丈夫なのか、って。不思議だよね」
「……なにが不思議なんだよ」
「だって、俺たちがソウのケガを知ったのは、彼が中退したと伝えられた時だろう。なのに君のお父さんはケガのことは知ってても、彼が学校を辞めたことは知らなかった。おかしいじゃないか」
「それは……俺が中退のことを言わなかっただけだ」
「確かにその可能性もあるって俺も思ったよ。でも、どうしても違和感が消えなかった。だから君のお父さんに直接話を聞きに行ったんだ」
類に目線を戻せば、彼は目を大きく見開いていた。
俺は小首を傾げた。
「どうしてそんなに驚くの? ……友達の父親に会うことって、そんなに変なこと?」
「……いつだよ。いつ、俺んちに来た?」
「昨日だよ。……ねぇ、気になるでしょ? 俺と君のお父さんが何を話したか」
類の顔から血の気が引く。
「別に……」
「本当に?」
「何が言いたい? もったいつけてねぇで、さっさと言えよ」
デスクから飛び降りた類に、胸ぐらを掴まれた。
形の良い眉を吊り上げて怒る彼に、俺は肩をすくめてみせた。
「気に障ったのなら謝るよ。でも、心配しないで。君のお父さんには会えなかったんだ」
胸ぐらを掴む手が一瞬、緩む。
「その代わり、近所の人からこんな話を聞いた」
夕空の下、川のせせらぎを背景に隣に住むという女性は怖いと言いながらも少し興奮気味に話をしてくれた。
『少し前に大きな声が聞こえたから……用事なら別の日にした方がいいと思って、声をかけたのよ』
『最近、ちょっと多くなってるわね。暴れてるような物音も凄いし、何だか怖くて』
「君のお父さん、外に聞こえるくらいの大きな声で騒いでる、って。昨日はちょうど声が聞こえたから、日を改めた方がいいって。……これって、どういうこと?」
刹那の沈黙。
類は苛立たしげに俺を押しやると、掴んでいた手を離した。
「……どうもこうもねぇ。それになんて答えりゃいんだよ」
「類さ……もしかして、お父さんから暴力を振るわれてたりしていない?」
「は、はあっ!? なんでそんな話になるんだよ!」
「俺の得た情報の全てが、そうだって言ってるんだ」
「はっ、探偵気取りかよ……。だいたい、今はソウの話をしてんだろーが」
類がデスクの足を蹴る。
「そうだね。ソウの話をしてた」
俺は努めて静かに頷くと、類の肩を掴んだ。
「でも、俺は……君のことも、助けたいと思ってる」
「……意味わかんねぇ」
類は俺の手を振り払うと、再びデスクに腰掛ける。
それからいらいらしたように、髪をかいた。
「君は、必至で自分は大丈夫だって取り繕ってる。そう見せようと、色んな物を飲み込んでいる。わかるんだよ。……俺たちは少しだけ似てるから」
言葉にすると、不思議と胸が軽くなる。
俺が類の傍にいたのは、自分だけじゃないと安堵したからだ。かぶり続けた仮面が顔と癒着している苦しみを彼も知っていると思ったからだ。
「ねえ、教えてよ。君のお父さんは、君に振るう暴力をソウにも向けたんじゃないの。その結果、ソウはケガをして陸上を辞めざるを得なくなったんじゃ、ないの」
「違うっ!!」
類は首を振る。
1度も俺と目を合わせずに。
「違うっていうなら、君がお父さんから何もされていないって証拠を見せてよ」
「……仮に俺が殴られてたとして、それと蒼悟のケガは何の関係もねぇ」
「残念ながら関係あるんだよ、類」
俺は口の中に溜まった唾を飲み込むと、語り聞かせるように告げた。
「君が受けた暴力は罪に問われなかったとしても、ソウが受けた暴力は傷害罪だ。俺が事情を話せば警察が全てを明らかにするだろう。今、そうなっていないのはソウの両親がケガの理由を知らないからだ。……ソウは君を庇って嘘をついたんだろう? 正確には君の、大事な人を庇って……嘘をつき続けてる」
「……」
類は足の間で手を組んだ。
キツく握りしめた手は、微かに震えているように見える。
「俺は君のお父さんをどうにかしたいわけじゃない。そんな気があればそもそも君にこんな話はしていない。俺はね、真実を知りたい。それが君を救うことに繋がるなら、なおさら……」
必要なのは、仮説を事実にするためのひとつのパーツ。
それを得るためだけに、俺は酷いことを類に言っている。
「ねえ、類。隠し続けるのは疲れるよ。君の心がすり減ってしまう前に、君の苦しみをわけて欲しいんだ。俺たちは……友達だろう?」
誰にだって隠しておきたい家の事情はあるというのに。
「ソウは……どうして、ケガをしたの」
しゃがみ込み類の組んだ手に手を重ねた。
彼は俺の瞳を、その奥の何かをじっと覗き込むようにしてから小さく嘆息した。
それから青ざめた薄い唇を開いた。
『ファミリア・ラプソディア』 step.22 秘密と嘘 Side:帝人 おしまい
To Be Continued