ファミリア・ラプソディア

秘密と嘘(5)

 俺は初めて予備校を休むとバイト帰りの類の後を追った。
 彼は何か悩んでいるのか、どこか心あらずな様子で歩いていたから、何の苦もなく類の自宅を知ることが出来た。

 その翌日の放課後、類がバイトの日であることを確認すると俺は真っ直ぐ彼の自宅へ向かった。

* * *

 両端がコンクリートで固められた大きな川の近くに、類の少し古びた二階建ての一軒家はあった。
 黒い門扉は塗装が禿げて錆びている。
白い壁の一部は黒ずんでいて、玄関前の電灯は点滅して切れかかり、奥には草の生えた中庭があって、物干しがぽつねんと立っていた。

 夜に訪ねた時はあまりよく見えなかったせいで気付かなかったが、かなり暗い。門から玄関までの間にある枝の伸びた2本の木が、そんな雰囲気を強くしているのかもしれない。
 類の印象とかけ離れた佇まいに、俺は違和感を覚える。

 鉄門を開け、玄関横のチャイムに指を伸ばした。

 ビーッと古風なチャイムが鳴る。
 けれど反応はない。

 締め切ったカーテンの隙間からは明かりが漏れ出ているため、留守ではないと思うのだが……

 もう一度、チャイムを押す。
 やはり誰も出てこない。微かに感じる人の気配は気のせいだろうか。

 更に重ねてチャイムを鳴らそうとした時、背後から声を掛けられた。

「あのー……今日はやめといた方がいいと思いますよ」

 驚いて振り返ると、見知らぬ中年女性が門の外からこちらを覗き込むようにして立っていた。

「ええと、あなたは……」

 訝しげにする俺に、彼女は辺りを気にしながら手を拱く。
 俺は門を出た。すると、彼女は声を潜めて口を開いた。

「あたし、隣の者なんですけどね」と言い置き、

「少し前に大きな声が聞こえたから……用事なら別の日にした方がいいと思って、声をかけたのよ」

 告げて、ちらりと類の家を一瞥する。
 俺は目を瞬かせた。

 大きな声……

「そうですか。それなら、日を改めて伺うことにします」

「そうした方が絶対にいいわ」

 鼻息荒く何度も頷く彼女に苦笑しつつ、俺は問いを口にした。

「すみませんが、大きな声っていうのは……よく聞こえてくるんですか?」

「最近、ちょっと多くなってるわね。暴れてるような物音も凄いし、何だか怖くて」

 俺は控えめに微笑み感謝を述べて、女性と別れた。

「声……か」

 川沿いを駅に向かって歩きながら、頭の中を整理する。

 今まで得た情報から考えるに、ソウのケガと類の父親は何か関係している――それは間違いないだろう。
 そして先ほど、女性が教えてくれた事実がその考えをより強固なものにした。

 俺は、先日会った類の父を思い浮かべてみる。
 ポケットに入れたままの手、マスク……あれらが何かを隠していたとしたら。
 例えば、ポケットの中に入れたままの手は……震えを隠していた、とか。

 そう考えると、マスクをかけていたことも、見知らぬ俺に近所の人が忠告をするほどの大きな声も、説明が付く。

 類の父親は……アルコール中毒者なんじゃないのか。

 ただの妄想だと笑い飛ばされても仕方のない仮説だ。
 もしも自分が何の情報も持たない状況で、誰かが同じことを言っていたら俺だって苦笑いしてしまう。

 けれど、叔父がポロリと口にした「イジメ」という単語が頭の片隅にこびりついて消えないのだ。

 今思えば、ソウの中退を聞いた時の類の様子にも、おかしな点がいくつかあったと思う。
 彼らしくない、と言うか……いつもの類なら、「なんで俺たちに相談もしねぇで辞めるんだよ」とか怒り出したような気がする。または混乱する俺に「あいつなら大丈夫だよ」といつもの力強さで励ましてくれた気がする。

 でも彼はそうしなかった。口数少なく、ニャン太の言葉に頷いていた。
 あの時の彼は……狼狽、していた。

 類はソウのケガを知っていたのだ。
 または、ケガをするようなことに彼が巻き込まれたことを知っていたのだ。
 でも、誰にも、俺たちにも、打ち明けることはしなかった。
 父親を庇って……いや、あるいは……

『最近、ちょっと多くなってるわね。物音も凄いし、何だか怖くて』

 類は父親を庇うことが習慣化するような状況にいるんじゃないか。

……だとすれば、類が体育の授業にほとんど出ないこととも関係がある気がする。

 と、ここまで考えて、俺は小さく嘆息した。
 こんなもの、妄想を通り越してもはや虚言と変わらない。
 けれど、ある裏付けができたらこの考えは虚言ではなく「事実」になる。
 それなら、やってみる価値はあるはずだ。

* * *

 翌日の昼休み。
 俺は類を連れて、誰もいない社会科準備室を訪れた。

「ごめんね。突然……どうしても君に相談したいことがあって」

「構わねぇよ。で、どした?」

 先に入った類が、デスクに腰掛ける。
 俺はひとつしかない教室の扉に後ろ手で鍵を掛けると、彼に向き直る。

 それから彼に近づくと、ゆっくりと口を開いた。

「ずっとソウのケガのこと調べてたんだ。それで、どうしても……君に尋ねたいことが出てきた」

 言葉に、類の面から表情が消えた。

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