ファミリア・ラプソディア

理想と現実(5)

 テスト間際は、図書室も学校近くの図書館も満席だったから、ボクらは父さんの居酒屋で勉強することにした。
 店が忙しそうならそのままバイトに入るし、大丈夫そうなら帰宅してテスト勉強ができると頼久くんと話す。

 父に帝人と汐崎くんを紹介したら、相変わらず大袈裟に喜んだ。

「いつもニャン太がお世話になってます。父です!」

「こんにちは。クラスメートの百瀬です。今日はお邪魔します」

「……汐崎です」

「友だち3人もいるなんて父さん、安心したよ~。今日はうんとサービスするからな」

 そう耳打ちして、父は軽い足取りでキッチンへ向かう。
 ボクはちょっとゲンナリしながら、頼久くんと一緒にドリンクを用意した。さっそく勉強会が始まる。

 まずは数学から。
 何が出来ていないか把握するため、汐崎くんは帝人が彼のために作って来たオリジナルの問題を解くことになった。ボクと頼久くんも自分の試験勉強をほっぽって、こっそりその問題に取り掛かる。

 途中で父が山と盛られた軟骨の唐揚げを持ってきてくれた。ボクらはそれをつまみながら、ペンを走らせる。

「はい、先生。出来ました」

 と、頼久くんが手を上げた。

「頼久くん早いね――って、なんで君がそれやってるの」と帝人。

「や、だって面白そうだったからさ」

「君、数学苦手ってわけじゃないでしょ?」

 帝人は頼久くんのノートを眺めながら言う。

「ほら、全問正解。俺が教えることないじゃない」

「じゃあ、教える代わりに褒めてくれ」

「なにそれ、凄く面倒くさい」

「はいはーい! ボクも出来ました!」

 頼久くんを軽くあしらう帝人に、ボクはノートを差し出す。それから軟骨の唐揚げを口に放った。  帝人は赤ペンをくるりと右手の中で回転させ目を走らせる。

「どれどれ……ああ、惜しい。ニャン太は詰めが甘いね。これは計算ミスだし、ここは必要な計算式省略しちゃってるから、バツ」

 容赦なく、ピピッとペンが跳ねる。

「うぇ……」

 それからしばらくして、汐崎くんが帝人にノートを提出した。  ボクと頼久くんも一緒になってそれを覗き込んだのだが……

「汐崎くんは……」

 問題のナンバリングだけ書いてある以外は真っ白だ。  帝人はちょっと困った顔をすると、小さく嘆息した。

「……うん。テスト範囲、全体的に勉強しようか」

 コクリと汐崎くん。

「数と式はすぐに出来るようになると思うんだけど……問題は、2次関数と確率、図形問題だと思うんだよね」

 汐崎くんは姿勢を正し、フンフンと帝人の声に耳を傾ける。
 ボクはもうひとつ唐揚げを口に放った。頼久くんはコーラをお代わりした。

「1次関数はわかるよね。例えばy=2xは、yはxの2倍に増えていくってこと。2次関数も基本考えは同じで……」

 帝人はスラスラと数式を書いていく。
 やがてひとしきり説明すると、汐崎くんを不安げに見た。

「……今のところまで質問ある?」

「質問はない。わからなかった」

「わからなかったって、どこが?」

 問いに汐崎くんは険しい表情を浮かべる。
 それから顎に手を置いて唸ると、小首を傾げた。

「……全部?」

 たぶん、ひとつひとつわからなかった場所を口にしようとして、あまりに多かったからまとめた感じがする。
 帝人は眉間の皺を揉むようにした。

「……もう一回、始めからやろうか」

 ボクは唐揚げを咀嚼しながら、真剣な様子でフリーズする汐崎くんを眺めた。

「意外かも。汐崎くんいつも難しい本読んでるから、勉強出来ると思ってた」

 トレーニング理論とか、栄養学とか、コンディショニング理論とか、見慣れない専門的なタイトルを読んでいるのをよく見掛けるんだけど。
 疑問を口にすると、彼は短く応えた。

「あの本は走るために必要だから」

 長距離走に関わることなら難しくても理解できる……というか、理解できるまで頑張れるらしい。それを聞いて、頼久くんは苦笑した。

「お前、走りながら勉強してこいよ。二宮金次郎スタイルっつの? そっちのが覚えられそう」

「走りながら……」

 口の中で言葉を反芻した彼の瞳が、一瞬キラリと輝く。

「汐崎くん。楽しそうって思ってるとこ悪いんだけど危ないから却下ね」

 そんな彼を帝人はバッサリと切り捨て、気合いを入れて説明を再開。

 ちょっと、しょんぼりとしつつ汐崎くんも再び問題に向き合う。
 その様子をボクと頼久くんが脇で聞く。
 やがてボクはノートに落書きをし始め、唐揚げはどんどん減っていった。……主にボクの胃袋の中へ。
 頼久くんは3杯目のコーラをお代わりした。

「……ダメだ。どう説明したら汐崎くんに伝わるのかわからない……」

 唐揚げが底をつく頃、帝人は組んだ手に額を押し付けて呻いた。

「俺は……赤点か……?」

 汐崎くんの絶望的な声に、帝人はハッと顔を持ち上げ、首をブンブン振る。

「も、もうちょっと頑張ってみよう! ね!?」

「わかった……」

 頷く汐崎くんの周囲にどんよりとした空気がただよい始める。

「平方完成は計算手順さえ覚えれば簡単だから。いい? まずはx二乗の係数でくくって……」

「インスウブンカイ……ブンパイホウソク……」

「汐崎くん! 魂が口からはみ出てる!」

 魂だけじゃなくて、頭の上部にはしゅぅうっと湯気が見えた。

「き、休憩しよ! ね!? ちょっと根詰めちゃったよね! お父さーん、唐揚げ追加でちょうだーい!」

「おう! 完売御礼の勢いで揚げてやるからな!」

 声を上げれば、すかさずキッチンから答えが返ってくる。

「いや、1皿で十分だよ!」

「遠慮すんな遠慮すんな! はははっ!」

「遠慮じゃなくてっ……父さん!!」

 テーブルを立ち上がるボクの横で、帝人がガクリと項垂れた。

「ごめんね、俺の力不足で……」

「いや……俺が悪い……興味のないことに、うまく意識を集中できなくて……」

「いやいや、汐崎くんは頑張ってるよ……」

「頑張っても……結果が伴わなければ……意味ないから……」

「そ、そんなことないって……」

 ふたりして謝罪合戦を繰り広げる。
 ボクは嘆息すると、席に座った。オレンジジュースで喉を潤しストローを噛む。
 と、頼久くんが口を開いた。

「……あのさ。ちょっといいか」

 何を思ったのか、ぺらペラと自身の教科書をめくるとピンクの蛍光ペンを走らせる。
 それから、チェックしたページの右上を曲げ、汐崎くんにその教科書を突き出した。

「蒼悟。チェックした部分、全部暗記しろ」

「暗記?」

「おう。覚えたら、問題別にはめ込み方、教えてやるから」

「ま、待ってよ頼久くん。そんな風に計算したら、応用問題が出来なくなっちゃうよ」

 帝人が慌てたように言う。それに頼久くんは肩を竦めた。

「そうなんだけどさ、でも構わねぇかなって。コイツ、テストで良い点取りたいわけじゃねぇから。要は赤点とらなきゃいいんだろ?」

「あ……そっか」

 帝人が目を瞬かせる。
 それに頼久くんはニヤリと口の端を持ち上げた。

「そーいうわけで帝人。蒼悟のためにテストに出そうな問題ピックアップしていってくれ」

「あっ、頼久くんそれが目的でしょ!?」

「……え? そんなことねぇよ?」

 ボクの指摘に彼は唇を尖らせてそっぽを向く。

「たぶん俺が教えなくても、頼久くんなら点数取れると思うよ」

 そんな風に帝人は庇ったけど、頼久くんのこの顔は何か企んでいる顔だ。

「そうそう。俺、意外とお勉強できるし」

 彼は唐揚げを指で摘まんで口に放ると、帝人に向き直った。

「そういうわけで、蒼悟に教えるの俺らでわけようぜ、帝人。お前だって自分の勉強したいだろうし。テストの山さえわかれば俺だって役に立てる」

「ほら! それが目的じゃん!」

「子供たちよ、お待たせさん。たくさん食べて大きくなりなさい」

 父がやって来たと思えば、ドカンとテーブルに山と盛られた唐揚げがおかれる。
 どう見ても、4人で食べきれる量じゃない。

「……店長。本当に今日唐揚げ出せねぇじゃん」

 呆れたように頼久くん。
 父はちょっと誇らしげにした。

「だから言ったろ。完売御礼の勢いだって」

「……みんなお土産に持って帰って。夕飯に食べたらいいと思う」

 ボクは父に何か言うのを諦めて、肩をすくめる。

「……ごちそうさまです」

「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」

「ここの唐揚げ、冷たいまんまでも旨いしチンしても旨いぞ」

 ボクらは幾つか唐揚げを口に放ると、再び勉強に向かった。

* * *

 2週間後。テストは速やかに返却された。
 汐崎くんはギリギリだったけど、勉強会の甲斐もあり赤点だけは免れた。
 ボクも、帝人の講義のお陰でなかなかいい点を取れた。

 驚いたのは頼久くんの結果だ。
 彼は総合点で帝人を抑え、学年1位を取った。2点という僅差だったけど。

「要領良すぎでしょ!」

 納得できないボクに、帝人は、

「要領じゃないと思うなぁ」

 と控えめに笑っていた。
 頼久くんは、帝人の山が当たったお陰だと、お昼にミントの効いたガムをプレゼントしていた。

* * *

 気が付けば、ボクらはかなり仲良くなっていた。
 特に頼久くんとは学校でもバイトでも一緒だからか、少しずつ自分のことを話したりもするようになっていた。

 彼は飄々としていて、謎めいていた。
 真面目なんだか不真面目なんだか……例えば、学校は休むのにバイトには律儀に来ていたり。
 どことなく一線を引いて人と付き合っているのに、相談されたりすると親身になって放課後遅くまで残っていたり。
 でも、時折、驚くほど冷たくあしらう相手がいたり……

 そんな彼が、ボクの中で「遊ぶと楽しいユカイな仲間」から「一緒にいると心地いいヤツ」に変化したひとつの出来事がある。

 ――それは1年の夏休みに入る直前のこと。
 ボクが彼のことを類ちゃんと呼び始めた頃のことだ。

-113p-
Top