火事と背中(7)
* * *
僕らは昼近くに起きた。
正確には1度、宿泊タイムを終える前に目を覚ましたのだが、色々自堕落に過ごして二度寝した。
「結構ゆっくりしちまったな」
「そうですね」
平日のためか、往来に人影はまばらだ。
アスファルトは濡れていて、空にはどんよりと灰色の雲が広がっている。もう一雨きそうな天気だった。
僕らはゆっくりとした歩みで駅の方へ向かった。
「ちょっと早い昼飯にするか。朝もかねてさ。そろそろランチタイムも始まるだろうし」
「わかりました。じゃあ僕はご飯食べたらそのまま大学に行きますね」
「修論の準備?」
「はい。ちょっと集めておきたい資料がありまして」
「……今更だけど、デートとか大丈夫だった?」
気遣わしげにする類さんに、僕はブンブンと首を左右に振った。
「お蔭様で凄くリフレッシュできました」
右手に持っている大きな紙袋が愛おしい。昨日買った服だ。これがあるから今日からももっと頑張れると思う。
「そりゃ良かった」と、類さん。
ついで彼は微笑んで僕に身体を寄せた。
「また時間できたらデートしような」
「はい……」
人目が少しだけ気になったけど、僕は勇気を振り絞って空いた手で彼の手を握りしめる。
類さんは苦笑しつつも、それに応えてくれた。
「そういや就活もしてるんだっけ? どうだ、調子は?」
「頑張ってはいるんですけど……なかなか」
僕は肩を竦めた。
情けないことに、今のところ相変わらず全滅だ。
たぶん熱量が足りていないと判断されているのだと思う。
「僕も、何か人より秀でた……いや、せめて熱量をもって取り組めるようなことがあったら良かったんですけど」
「熱量?」
「類さんたちみたいに好きなことで食べていくって格好いいじゃないですか」
高校まで、ただ漫然と勉強していたことが悔やまれる。
「いい大学に入る」という、家を離れる理由を手に入れるのに夢中で、僕は卒業後のことなんて考えてもいなかった。
そういう意味では、友人の雅臣はしっかりしていたと思う。肩書きをフルに使って就職したのだから。
院に進学した僕にはあまりに先がないし、最近は兄に甘えていると怒られるのも尤もだと思っていた。
「好きなこと……か」
類さんは奇妙な顔をして苦笑をこぼした。
「俺は死ぬほど書くのキライだけどな」
「えっ!?」
思わぬ言葉に僕は目を見開く。
彼は困ったように鼻の頭をかいた。
「そんな驚くことか?」
「いや、だって……作家とか夢追い人のイメージが……」
「そりゃ書くのが好きな作家もたくさんいるよ。仕事で書いて、休憩に別の書くような奴らもさ。でも、俺みたいに嫌いだけど書いて飯食ってる奴もいる」
「嫌いなら、どうして……今の仕事を?」
問えば、彼はさして気にした風もなく続けた。
「そんなの仕事になったからだよ。正確には、仕事に出来ることが他になかったからっつーか。これはできない、あれはできない、の消去法で流れ流れて、後は野垂れ死ぬしかないみたいなギリギリのとこで運良く拾って貰った。だから捨てられないように、死にもの狂いで書いてる」
「え、ええ……そんなことってあるんですね……あ、でも、ニャン太さんは? ソウさんと、帝人さんは? あの3人は……」
「似たり寄ったりな気がするぞ。帝人は父親が医者で、夢ってより家業継ぐノリに近いだろうし。ニャン太も……タバコが好きで始めたんじゃねぇ。ソウなんて特に夢からはほど遠いと思う。アイツ、全く料理に思い入れなかったから」
「なかったんですか!?」
「仕事始めた時にスキって話は聞いたことねぇよ。キライではなかったとは思うけど」
僕はパクパクと唇を無意味に開閉させた。
みんな、夢を追った先の仕事に就いているんだと思ったのに。
もしかして、就職に必要なのって好きとか、それにかける熱量とかじゃないのか?
ってことは、僕に足りないものは……
「……決断力?」
ポツリと呟いて、足元に目線を落とす。
この業界でご飯を食べていくぞという決意が必要なら、確かに企業は自分を選んではくれないだろう。熱量もなければ、僕は決意もしていないのだ。
「うん?」
「あ、いえ、その……みなさん、しっかり心を決めてるんだなぁと思いまして」
首を傾げる類さんに、僕は言葉を探した。
特に……ソウさんの話は、感じるものがあった。
スポーツ推薦だった彼は足をケガして、中退を余儀なくされたと聞いた。
高校2年で、社会人になると決めるなんて……しかもその職業にさして思い入れがないだなんて、同い年の頃の自分を思うと恥ずかしくなる。あの頃の僕は、ただただ兄が鬱陶しくて、息苦しさから逃れることしか考えていなかった。……今もあんまり変わってないが。
「ソウさん……てっきり料理が好きだから今の職についたのかと思ってました。陸上と料理じゃ全然分野が違いますし。なのに、高校辞めて料理で生きて行くって決断したわけですよね。やっぱり凄いなと……」
類さんが歩みを止める。
不思議に思って振り返れば、彼は大きく目を見開いていた。
「類さん?」
「陸上、って……なんでそれ知って……」
「え、あ、……帝人さんから聞いたんですけど……」
「帝人が……」
類さんの表情に、僕は戸惑った。
言ったらまずいことだったのだろうか。
でも話してダメなことを、あの人が僕に言うとは思えない。
「……帝人、なんて言ってた?」
「ソウさんは、ケガをして陸上を辞めたとだけ……」
「……そうか」
「あの、もしかして……あんまりしない方がいい話題ですか……?あ、もちろんソウさんには振ったりしてませんけど」
類さんがハッとして僕を見る。
続いて、気を取り直すように笑った。
「や、そんなことねぇよ」
その時だった。
俄に辺りの空気が騒々しくなって、僕らは訝しげに辺りを見渡した。
すると、少し離れたところのビルから火の手が上がっているのが見えた。
――火事だ。
「わ……火事みたいですね……」
往来が騒然とし始め、野次馬が集まりだす。
周辺のビルのいくつかの窓が開いて、中から人が花火を見るみたいに顔を覗かせ、口々に驚いた声を上げている。
僕はそんな不自然な光景を前に、小学生の頃、近所であった火事を思い出していた。
夕空に炎と黒い煙が立ちのぼり、とても不気味だったっけ。
……ケガ人とか出ないといいんだが。
と――
「痛っ……!?」
グッと左腕を掴まれた。
あまりに強い力で、僕は痛みに飛び上がった。掴んでいたのは類さんだった。
「…………」
「類さん……?」
様子がおかしい。
目を見開き燃え上がる炎を見やる彼の顔は真っ青だ。
「類さん、どうかし――」
声を掛けたのと、彼が胸を抑えるようにして蹲ったのは同時だった。
「類さん!?」
慌ててしゃがみ込み、彼を支えて様子を伺う。
「……っ、は、……っ」
荒い呼吸が耳を突く。
彼は首筋に異常な汗をかいていた。
「ど、どうしたんですか、類さん!?」
救急車と消防車の音が頭の中で旋回する。
「類さんっ!!」
僕の腕を掴んでいた彼の手が、ズルリと力なく落ちた。