勝手と勝手(1)
お盆になると、僕の実家には親族が集まる。
毎年、憂鬱な3日間だが今年はちょっと風向きが変わった。類さんが一緒に来てくれるというのだ。
母に相談したところ「是非、つれていらっしゃい」と返信があったので、僕は今、類さんと一緒に新幹線に乗っている。
「お弁当何買ったんですか?」
新幹線が動き出してからしばらくして、僕は嬉しそうに袋からお弁当を取り出す類さんに問い掛けた。
「ロースステーキ重」
と、彼は少年みたいにニッと笑う。
「伝は?」
「僕は焼きサバ寿司です」
「お。魚派」
いただきます、と唱和して箸を割った。
それから僕はサバ寿司を口に放った。新幹線に乗る度に、沈鬱な気持ちで口に詰め込んでいた食事が、今日はとても美味しい気がする。
家族のことを思うと不安もあるが、類さんが隣にいるだけでだいぶ心が楽だ。
「……あの、類さん」
「ん?」
「……類さんって、サバ好きですか?」
「ああ、うん、好きだけど……どうした?」
「一緒に来てくれて、ありがとうございました」
と言って、僕は感謝の気持ちと共にサバ寿司をふたつ彼のお弁当の端っこに置く。
「別にいいのに。……ありがたく貰うけど」
鯖を口に放った彼は、美味しそうに頬を緩めた。
「うん、魚もありだな」
いつもと変わらない彼の横顔に、僕は内心ホッと胸を撫で下ろす。
類さんは、電車や人混みが苦手らしい。
昨晩、彼と一緒に帰省することを話した時、珍しく顔をしかめたニャン太さんが教えてくれたのだ。
それを聞いて、僕はすぐに類さんの申し出を断ったが、彼は「ひとりじゃなければ平気」 と、頑として受け入れてくれなかった。
たぶん僕のことを心配してのことだろう。
本当に申し訳なく、ありがたく……言葉では表し切れない。
「……伝はさ。親と仲悪いの?」
お弁当を食べ終わると、類さんが口を開いた。
「いえ、悪いというわけではないんですけど……」
僕は窓の外に目を向ける。
物凄い勢いで遠ざかる景色には、もう東京の色はない。
ややあってから、目線を膝に落とした。
「とても優秀な兄がいるんです。彼と比べると、まあ僕は頭も悪いし、要領も悪いしで、顔を合わせると毎度叱られてしまって……それが嫌だというか。……子供じみた理由ですみません……」
「なるほどな」
頷くと、類さんは持て余すように長い足を組み替えた。
「ゲイだってことは伝えてんのか?」
「……はい、言いました」
「マジ? 意外」
背もたれから身体を起こす類さんに、僕は肩を竦めて見せる。
「ノリで。……ケンカした時の」
「ははっ、いいノリじゃん」
「でも、それを知ってるのは兄だけです」
もしかしたら、父にまで話がいってるかもしれない。
そうしたらどうなるのか、想像するのも怖い。
そんなところに類さんを連れていこうというのだから、僕は最低だと思う。
「あの……本当、嫌な思いさせてしまったらごめんなさい」
「いいってば。来るって決めた時にド修羅場覚悟してるから」
でも、類さんは全く意に介していないようだった。
むしろ彼は楽しげですらある。
お陰で随分と心が軽くなった。
「類さんは恋人のこととかご両親に話してるんですか?」
「ん? 俺?」
類さんのスマートさや、頼もしさ、お茶目なところを思うに、彼もまたニャン太さんのようなオープンな家庭に育っているのかもしれない。
そんな軽い気持ちで問いかけてみたのだが……
「話してねぇよ。もう親、いねぇし」
「えっ……」
僕は息を飲んだ。
その返しは全く予想していなかった。
「す、すみません、僕……」
「あー、気にすんなって。だいぶ前に死んだし、全然悲しいとかないから」
言って、彼はケラケラ笑った。
僕は途端に自分の悩みが矮小に思えて、恥ずかしくなる。
「タブー視するような話題じゃねぇだろ。親なんて自分より先に死ぬもんだ」
それはそうなのかもしれないが、類さんと僕はそこまで年も変わらない。
だいぶ前に亡くなったということは、まだ成人していない頃だろう。
僕の思いも寄らない苦労をしているのかもしれない。
彼の優しさだとか、格好良さとかは乗り越えた修羅場の数なのかも。
類さんは、うつむいた僕の髪をくしゃりとかき混ぜた。
僕は彼のことを何も知らないのだな、と改めて思った。
* * *
新幹線から、鈍行に乗り換え更に2時間。
実家の最寄り駅に辿り着いた。
階段を上り下りして改札に向かう。
ひとつだけの改札機を通れば、古びた駅前には小さなロータリーが広がる。タクシーの姿もなければ人の姿もない。
線路近くには似たような一軒家と、売り出し中の土地が並ぶ。
線路を囲う錆びたフェンス、緑鮮やかな街路樹、チェーン店には見えないコンビニ、それから耳をつんざく激しいセミの音。
空気は東京のものに比べて、どことなく爽やかだ。
お正月ぶりに僕は帰ってきた。
まだ母の迎えは来ていない。
と、物珍しそうに辺りを見渡していた類さんが、おっと声を上げた。
「なんだよ。コンビニあるじゃん」
「駅前だけですよ。実家の方には全くありません」
「マジか」
「コンビニ寄っておきますか?」
「や、大丈夫」
「ここから車で移動します。母が迎えに来てくれるので……」
言葉の途中で見覚えのある車がロータリーに入ってきた。
母に片手を上げかけた僕は、助手席に座る人物に口の端を引き攣らせる。
「……な、なんで」
そんなの聞いてない。
どうして……兄が一緒に来てるんだ。
「あ、あの、類さん、ちょっと……」
「ん?」
僕は彼を促し、駅に戻ろうとした。
待合わせの場所は長椅子ひとつしかないから、逃げ場なんてないのだが。
車が停車する音に続いて、扉の開閉音が聞こえた。そして。
「伝。何処に行くつもりだ?」
声に僕は渋々と振り返った。
「た、ただいま、兄さん」
それから重たい足を前に踏み出す。
久々に会った兄はいつにも増して不機嫌そうだった。
「兄ちゃん? あの人が?」
類さんの耳打ちに小さく頷く。
と、彼は軽い足取りで兄に歩み寄った。
「どうも初めまして。伝のお兄さん。俺は――」
差し伸べた類さんの手を、兄はスッとあからさまな態度で避けた。
それから彼を無視して、
「今日は親族の集まりだ。部外者には今すぐ帰って貰え」
僕を睨みつけると、むべもなく言い放った。