マグと嫉妬(1)
すっかり気温も肌寒くなってきた、ある日の夜。
「おーい、誰か雑巾持ってきてくれ!」
キッチンから類さんの声が聞こえて、リビングでダラダラしていた僕らは顔を見合わせた。
帝人さんがいち早くソファを立ち上がる。
僕とニャン太さん、ソウさんは台所に向かった。
「だ、大丈夫ですか!?」
床にはコーヒーの黒溜まりが出来ていて、欠けたマグカップも転がっていた。
「取っ手、取れた」
類さんはそう言って、カップ部分のない取っ手を示すと、僕らに困ったように笑った。
「うわー。キレイに取れちゃったね」
「火傷してません?」
「平気。ギリ避けたから」
帝人さんがいくつか持ってきた雑巾を類さんに放り、床にしゃがみ込む。
「悪いな、帝人。助かるよ」
「気にしないで。火傷は……してないみたいだね」
床を拭くふたり。
ニャン太さんが欠けたマグを拾うのを見て、僕は慌ててスーパーのビニール袋と、ガムテープ取りに行く。
「淹れ直す」と、ソウさん。
「おう、ありがと」
片付けを終えると、僕らはリビングに戻った。
と、新しいマグでカフェオレを飲んでいた類さんがちょっと寂しそうに呟いた。
「あれ、気に入ってたんだけどなぁ」
「そうだったんですね。何か思い出でもあるんですか?」
問えば、彼は首を左右に振った。
「いや、単に飲みやすかったんだよ。量もちょうど良いし、とにかく昔から使ってたから」
「そろそろ買い換え時ってことじゃないかな」
帝人さんが微笑む。
「まあ、そうなんだろーけど……」
ソウさんの見ているテレビ番組の笑い声が、沈黙の間を縫うように流れた。
「ね、ね!」
と、携帯を弄っていたニャン太さんがパッと顔を上げた。
「この際だし、みんなでお揃いのマグにしない?」
「いいよ。じゃあ、なんか良い感じなの探すか」
「それなんだけど……実は提案があるんだっ♪」
ニャン太さんはちょっと興奮気味に頬を上気させると口を開いた。
「マグカップ、作ってみない??」
「作る?」
僕と類さん、帝人さんは首を傾げる。
「うん!」
ニャン太さんは僕らにスマートフォンのディスプレイをドドンッと差し出した。
そこに映っているのは、ろくろと、それを回す泥だらけの手の写真だ。
「ずっとやってみたかったんだよね。――陶芸!!」
* * *
陶芸体験コースでマグカップを作るという案は、満場一致で決行となった。
サクサクとそれぞれの休日を調整し、ニャン太さんが目にもとまらぬ速さで予約をした。
しかし、その当日。
「いってらっしゃい……」「気を付けてな……」
ニャン太さんと類さんは、ガクリと肩を落として、玄関までお見送りに出てきてくれた。
類さんは予想外に仕事の進みが悪かったらしく、ギリギリまで粘っていたが締切を2日過ぎた今日でも終わらなかった。
ニャン太さんはと言えば、急遽、お母さんと4番目のお姉さんから車を出して欲しいと頼まれたらしい。
「日程ズラそうか?」と帝人さん。
ニャン太さんは、とんでもないと頭を振った。
「いやいや、さすがに5人で予約して全員行かないとか申し訳なさすぎるよ。いくらキャンセル料払っても営業妨害になっちゃう」
「それもそうだね……」
帝人さんは頷くと、革靴をはき、靴箱の上に置いていたセカンドバックを手に持った。
「それじゃあ、ふたりの分も楽しんで作ってくるね」
「渾身の出来でよろしく」
「どうだろうなぁ」と帝人さんが玄関を出る。僕は顔色の悪い類さんに声を掛けた。
「類さん。眠れるようなら、時間取って休んでくださいね」
彼はここ数日、今日のためにかなり無茶をしていた。1週間くらいまともに寝てないんじゃないだろうか。
類さんは元気のない笑みを浮かべた。
「心配掛けて悪いな。あんたの言う通りにするよ」
ぐい、と腕を引かれたかと思えば、額にキスが落ちる。
僕はちょっと顔を赤らめて、そそくさと玄関を出た。
「あと10分で電車くるって」
「は、はい……!」
帝人さんの後を慌てて追う。
ソウさんはもう先にエレベーターの前まで進んでいて、僕の姿を確認するとボタンを押した。
……少しだけ僕は緊張していた。
なぜなら、この3人で出掛けるのは、初めてだったからだ。