ファミリア・ラプソディア

バカと恋わずらい(1)

「どうしよう……」

 暑さが落ち着き始めたある日の夜、僕は自室で頭を抱えていた。

『お前、寮出たんだって? 明日、久々に飯でも食いに行かね?』

 携帯に入った、ひとつの連絡。
 学部生の頃、よくつるんでいた友人からだった。より正確に言えば、ずっと片想いしていた相手――相馬将臣からだった。

 さて、困った。

 正直なところ会いたくはない。
 僕が将臣と……学部の頃仲良くしていた寮生たちと距離を取った理由なんて、彼にはまかり知らぬことである。だからこんな風に無邪気に連絡をくれたのだ。

「その日はちょっと用事が」と言っても、「じゃあいつなら空いてる?」と続くのは目に見えている。将臣とはそういう男だった。断るなら明確に、会いたくないと告げる必要がある。
 相手が女性だったら「彼女が不安に思うから」なんて嘘もつけたかもしれないが……

『アイツ、なんでも言うこと聞くから便利なんだよな』

『それって、お前のこと好きなんじゃねぇの?』

『うえー、キモ。つまんない上にキモイとか最悪』

 ふと、失恋のきっかけとなった会話が脳裏に蘇った。
 けれど不思議と胸は痛まなくて、うあーと恥ずかしくなるだけだ。

 将臣に嫌われたくない一心のイエスマン――あの頃の自分は確かにキモかった。必死過ぎてイタイというか。将臣がああ言ったのもムリはないと今なら思える。

「ご飯、食べるだけなら……まあ、いっか」

 社会人になり、新たな世界へ踏み出した将臣が、僕を覚え続けていることなんてないだろう。今日、こうして連絡をくれたのも、入っていた予定が急にキャンセルになったりしてたまたま僕を思い出したに過ぎないように思う。きっと、彼に会うのもこれで最後だ。

「あのー、類さん。ちょっとお話したいことが……」

 僕は自室を出ると類さんの部屋の扉をノックした。
 と、中から顔を覗かせたのはニャン太さんだった。

「なになに?」

「す、すみません……! また後で出直します!」

 お取り込み中だったかと慌てて踵を返せば、ガシッと抱き抱えられた。

「ぉわっ……」

「そんな気遣わなくていいってば。邪魔ならボクが外すし」

「いえ、そんなたいそうな話じゃなく……」

 そのまま、類さんの部屋の中まで連れていかれる。

「あ、あのっ、ニャン太さんっ……! 自分で歩けますよ……!?」

「遠慮しなーい」

「遠慮じゃないですってば……!」

「どうした、伝?」と、類さんがデスクに向かいながら問う。

 どうやら仕事中だったらしい。
 ベッドの上にはマンガが散乱していたから、ニャン太さんはここでダラダラしていたのだろう。

「デンデン、話があるって」

 ニャン太さんが僕の代わりに答えてくれた。

「話?」

 類さんがクルリと椅子を回転させてコチラを見たのと、ニャン太さんが僕を下ろしたのは同時だった。

「じゃあ、ボクは外にいるから。終わったら呼んで」

「大丈夫です、ここにいてください。明日の夜、出かけるって言いに来ただけなので」

「「出かける?」」

 ふたりの声が重なる。
 僕は一瞬ギクリとして、あいまいに笑った。

「……と、友達にご飯に誘われました」

「そっか。楽しんでこいよ」

「は、はい。ありがとうございます」

「なんでありがとう?」

 訝しげにする類さんに、僕は小首を傾げる。

「え? ええと……なんとなく……」

 本当に、どうしてありがとうなんて言っちゃったんだろう。

「そ、それじゃあ、お仕事の邪魔してすみませんでした」

 僕は何となく後ろめたさを感じて、そそくさと彼の部屋を後にした。

 たぶんこのモヤモヤの正体は、敢えて伝えなかった情報があるからだ。でも「好きだった人と会ってきます」なんて言う必要はないわけで。

 うーん……なんとなく、気持ちが悪い。

□ ■ □

 伝が出ていった扉をしばらく無言で眺めてから、類は口を開いた。

「……なぁ、ニャン太。今の伝の態度、どう思う?」

「変だった」

 寧太の即答に、彼は小さく吐息をこぼすと椅子に深く背を預ける。

「だよな」

 それから、手を組んだり外したりした。

「本当に『ただの友達』か? そんな相手の話、聞いたことねぇけど」

「まあ、全部を類ちゃんに話すわけじゃないから」

「それはわかってんだけど……」

 沈黙。  それから類はフッと低く笑った。

「……笑える。俺、今……嫉妬してるっぽい」

「そりゃなるんじゃない? スキなんだもの」

「俺にはお前らがいるのに、伝に俺だけ見てろって変な話だろ」

「それはそれ、これはこれでしょー」

 言って、寧太は類が座る椅子の肘掛けを掴み彼の顔を覗き込んだ。

「そもそも、ボクら変な関係だし?」

 挑発的な、何か意味を含んだような眼差し。
 類は一度視線を外してから、彼を少し拗ねたように見つめ返した。

「……なんだよ」

「……んーん。なんでもない」

 寧太はちゅっと類の額にキスをしてから身体を起こす。

「そういえば、明日ってボク仕事休みなんだよね。類ちゃんも今、切羽詰まった仕事ないでしょ?」

「え……」

 類がきょとんとする。
 それに寧太は悪戯っ子のような笑みを浮かべると口を開いた。

「明日、デートしよーよ。……変装してさ♪」

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