ピアノと酔っ払い(7)
* * *
駐車場で車を降りると、街灯に設置されたスピーカーから流れてくる大音量の祭囃子が聞こえてきた。
「くぅ~~っ! このリズム、めっちゃテンション上がるよね! やっぱお祭りって人間のDNAに組み込まれてるんだよ!」
ニャン太さんが足取り軽く先を行くのを、僕は類さんと帝人さんと一緒にゆったりと追いかける。
最寄り駅の周辺は賑やかに飾り立てられ、大通りの両端にはチョコバナナを筆頭に、タコ焼き、ボールすくい、わた飴等、人気どころの屋台が立ち並んでいた。
貰ったパンフレットを見て、ピアノの発表が行われる場所を確認する。アーケードを抜けた先にある、広場とのことだった。ちなみにそこでは、今は、のど自慢退会が開催されている模様。
少し歩いた先のアーケードはクーラーが効いているようだった。しかし、余りにも人が多くて涼しさは感じられない。
「どうする? どこから手を付ける!?」
ニャン太さんが目をキラキラさせて、アーケード内の屋台を見渡す。
「ニャン太……少しは落ち着けって。もう大人なんだから」
「むしろ大人だからこそ、お小遣いを気にせず思いっきり遊べるってものでしょーよ!」
「そんなに遊びたいものあるか?」
類さんの問いに、彼は大仰に頷いた。
「わた飴でしょ、リンゴ飴でしょ、バナナチョコに、たこ焼きに、あと焼きそばと……」
指を折って数えていく彼に、類さんは「食いもんばっかじゃねぇか……」と肩を竦める。
ふたりの話を横で微笑ましく聞いていた僕は、ふと帝人さんを見て眉根を寄せた。
「……あの、帝人さん」
「うん?」
顔色が悪い気がする。いつもより口数も少ない。
たぶん……連日の練習で寝不足なのだろう。
バイト前まで寝ていられる僕とは違って、帝人さんは朝から仕事なのだ。
「出番まで、車で休んでたらどうでしょうか」
「え? どうして?」
「その……あまり顔色が良くないように思えて」
「ああ……でも、今日で最後だから。それに、もう少し詰めておきたいんだよね」
「まだ練習を? もう十分だと思うのですが……」
昨晩――正確には今日の朝方だが――聴いた音色は本当に、なんというか、素晴らしかった。
僕みたいな素人には何がダメなのかサッパリわからない。失礼だが、今日、彼の演奏を聴く大多数は同じだと思う。
正直にそう告げれば、帝人さんは困ったように笑った。
「ニャン太の――家族の頼みだからね。適当にはしたくないんだよ。自分の出来ることで精一杯、大事にしたいというか」
「俺の居場所だからさ」と付け加えて、彼はニコリと笑う。
「……そうですか」
僕は小さく頷くと、彼と同じく微笑んだ。
これ以上、何かを言うのは野暮だ。気持ちは痛いほどわかる。
「心配してくれてありがとね、伝くん」
「いえ……」
帝人さんは前を行く類さんたちに視線を向けた。
「類。ニャン太。俺は最後の練習してくるから。また後で合流しよう」
振り返ったふたりに、そう明るく告げる。
「おう。頑張れよ」
「楽しみにしてるね!」
ニャン太さんが元気よく手を振った。
帝人さんもそれに控えめに応え、踵を返す。
僕は遠ざかる彼の背を少しの間だけ見送ってから、類さんの隣に並んだ。
* * *
「夏祭りといったら、カキ氷だよね~」
アーケードの中を2往復した末、ニャン太さんはまずカキ氷を買った。
これでもかと盛られた氷の山頂は、シロップで真っ青に染まっている。
「いただきます!」
道の端に避けると、彼はさっそくスプーンに目いっぱい氷を乗せ、満面の笑みでパクついた。
「ん~~っ、ちべたい! 美味しい!」
全力で楽しむニャン太さんは見ていて気持ちがいい。
類さんも子供を見守るようなお父さんの目をしている。
そんな僕らに気付いて、ニャン太さんは小首を傾げた。
「ふたりは食べないの?」
「その量は食べきれる自信ないですね」
「わかる。腹痛くなりそう」
「じゃあ、ボクのお裾分けしてあげるよ。……はい、デンデン。アーン」
「ありがとうございます」
差し出されたスプーンを口に含めば、からからの喉にひんやりとした甘さが広がった。
ついで、抜けるような鋭い痛みが走る。
「……っ!」
「あはは。頭、キーンってした?」
僕はキツく目を閉じて、無言で何度も頷いた。
と、ケラケラ笑っていたニャン太さんに、類さんが噴き出す。
「ニャン太。舌、青くなってるぞ」
「えっ、ホント!? それ、めっちゃお祭りっぽいね!? 写真撮って!」
ニャン太さんは類さんに携帯を渡しべーっと舌を出した。
確かにその舌はブルーハワイのシロップで真っ青だ。
カシャリとシャッターの音。
それからニャン太さんは、類さんから手渡された自分の携帯を覗き込んで、更に笑い声を上げた。
「ホントに青いじゃん! あははは!……これはインヌタにアップしないと……タグどーしよっかな」
カキ氷を片手に忙しげに携帯を弄り始める。
その横でしばらく人の流れを眺めていた類さんが、うんざりした様子で口を開いた。
「……にしても、あちぃな今日。こんな日に外でピアノ弾くとか正気か」
「4時からですし、だいぶ陽も陰ってるんじゃないでしょうか」
「どうだろーな。夏の4時なんてまだ真っ昼間な気がするけど……」
類さんのさまよわせた視線が、ある一点でふと止まる。
「お。ラムネ売ってんじゃん」
彼はカランカランと下駄を響かせ、すぐ近くの屋台に向かった。
それから2本の瓶を手に戻ってくる。
「ほら。伝も飲めよ」
「ありがとうございます。今、お金を……」
「お代はキス1回でいいよ」
人差し指を唇に押し付けて、類さんが言った。
それにニャン太さんが携帯から顔を上げて応える。
「デンデンのキスって1回200円なの? ならボク、毎週2万課金する」
「僕のキスはガチャじゃありません!」
僕は財布から取り出した百円硬貨を類さんに渡し、瓶を受け取った。
玉押しをセットして少し前かがみで思い切り押し込めば、小気味良い音を立ててビー玉が落ち、シュワ~ッと炭酸が勢いよく噴き上がる。
慌てて瓶の口をくわえた。と、それを見て類さんが喉奥で笑った。
「さては、伝……ラムネの開け方を知らねぇな?」
「え?」
類さんは玉押しを瓶の口に押し込むと、ギュッと抑え込む。少しの間そうしてから、彼はそっと手を外した。
「こうやって、しばらく押さえつけてるとこぼれない」
「本当だ……」
僕は目を瞬く。 そもそもラムネは開けたら溢れる物だと思っていたのだが。
「驚きすぎだろ」
彼は苦笑すると瓶を傾けた。ゴクリ、ゴクリと喉仏が上下する。
僕は持ち歩いている除菌ティッシュで手と瓶を拭い、彼に習って瓶を仰いだ。
ビー玉が邪魔でなかなかラムネが出てこない。
僕は舌を伸ばしてビー玉を退かし、微かに流れ落ちるラムネで喉を潤した。
そういえば子供の頃、なんて飲みづらいんだろうと驚いたっけ。久々過ぎてすっかり忘れていた。
「プハー」と、類さんが吐息をこぼす。 見れば、もう瓶の中は空っぽで僕は目を疑った。
「類ちゃん、オッサンみたい」
「オッサン言うな」
舌を伸ばしたまま、どうやったらあんな速度で飲めるのだろう。
試してみるが、咽そうになってやめる。
と、ニャン太さんがコチラを見ているのに気が付いた。僕は瓶を口から離した。
「あの……何か?」
「デンデン、凄いエッチな飲み方するね」
「普通に飲んでるだけですが!?」
類さんが隣で腹を抱えて笑い出す。
ニャン太さんは困ったように眉尻を下げた。
「や、だって……舌でズラして飲むなんて斬新だったから……」
「え……ず、ズラさないんですか?」
なら、どうやって飲むというのだろう。
戸惑っていると、ニャン太さんが瓶の上部の辺りを指し示した。
「ビー玉は、このヘコんでるトコに引っかけるんだよ」
「はいっ!?」
まじまじとラムネを見つめる。
僕は……子供の頃からずっと間違った方法で飲んでいたらしい。
かなり恥ずかしい……。
ついでにふたりから、あまり瓶を立てず水平にすると飲みやすいことも教えて貰い、僕は生まれて初めて、ラムネをスイスイと飲み終えることが出来たのだった。
* * *
それからボールすくいをして、瓦割りにチャレンジして、といろいろと遊んだ末に、僕らはピアノ教室の手伝いに向かった。
設営をするのに、男手はあればあるだけいい……と思ったのだが。
のど自慢の機材はすっかり片付いているにも関わらず、会場にはまだピアノは運び込まれていなかった。それどころか、帝人さんやニャン太さんのお姉さん、生徒たちの姿も見えない。
「あれ? 早く来すぎちゃった?」
「いや……そろそろ運んでねぇと時間に間に合わないんじゃねぇか」
「ですよね……」
不思議に思って、僕らはアーケードを戻り教室のあるテナントまで向かった。
ショーウィンドウから中を覗き込めば、帝人さんの背中が見えた。それから、少し険しい顔をしたニャン太さんのお姉さんと、泣いている幼い生徒と……
何やらただならぬ空気だ。
僕らは顔を見合わせてから、ガラス扉を押し開けた。カランッと来客を告げるベルが鳴る。
いち早く気づいた帝人さんが、僕らのところまで小走りでやってきた。
ニャン太さんが奥の方を覗き込みながら、小声で帝人さんに尋ねる。
「どーかしたの? そろそろピアノ運んだ方がいいと思うんだけど……」
それに、帝人さんは困ったように肩を竦めた。
「それが……ピアノ使えなくなっちゃったみたいなんだ」
「えぇっ!? どういうこと!?」