ファミリア・ラプソディア

腰痛とDIY(6)

「な、なんっ……き、急にっ……!?」

 手の甲で口を拭えば、ニャン太さんが背中をさすってくれた。

「やっぱり、してないよね……引っ越してからずっとボクも一緒に寝ちゃってるし」

「それは、こ、こちらがお願いしてるからで……っ」

 ニャン太さんが気を利かせてふたりきりにしてくれようとしたことが何度もある。
それでも泣きついたのは僕自身だ。

「でも、なんで? おうちのルール的にイチャついてもなんの問題もないのに。エッチしたくないってわけじゃないんでしょ?」

 僕は俯く。それから無意味にペットボトルをくるくる回した。

 どうして類さんに触れないのか……

 言葉を探す。
 少しの時間、悩んでから、僕は言った。

「……だって、ニャン太さんたちも……類さんと、その、な……ナカヨシしないじゃないですか」

「へ?」

 僕はちらりと彼を見た。
 ニャン太さんは不思議そうにしている。

「ボクらがいるから、ヤりづらいんじゃなくて?」

 ヤるって……

「……それなら、外でイチャつけばいいことですよ」

 実際、学校とバイトの間にマンションに戻って、お昼を一緒に食べることもある。
 それでも僕は類さんとそう言った雰囲気にはならない。

「わ、わかんないよ。どういうこと? ボクらがしないからってなんでデンデンがしない理由になるの?」

「僕は類さんが好きですが……ニャン太さんたちと過ごすあの場の空気、みたいなのもとても気に入ってるんです」

 僕は彼らのことをまだ何も知らない。
 それでも、この気持ちは理屈じゃなかった。

 僕は彼らと過ごす空間が好きだ。――ダラッとしながら他愛もない話をする、あの時間が。
 飾らない、自分のままでいても受け入れてもらえるような。
 小さな頃から欲しくて、でも手に入れられなかった、安心がそこにはあった。

「だから、ますます……類さんに触れるのをためらってしまうんです。
普通は好きな人が自分以外の人に触れていたら傷つくものですから」

 言葉の途中でハッとして、僕は慌てて付け足す。

「あっ、その、あなたたちはそうじゃないって言うのはわかってるんですよ。でも、僕のことを気遣って、ニャン太さんたちは類さんとくっつかないじゃないでしょう? なのに僕だけが恋人の時間を過ごすのは、やっぱり……」

「別に、我慢してるわけじゃないよ。類ちゃんとは付き合いも長いし、エッチに対するウェイトが軽いってだけ」

「ウェイト?」

「そーいう雰囲気になったらしよーってノリというか。10年一緒にいるし、毎晩愛し合いたい!なんて時期はとっくに過ぎちゃってるんだよ。それに、愛ってエッチしなくても成り立つでしょ?」

「それは、はあ、確かに……」

 愛がなくてもセックスはできる。
 ならば逆に、セックスをしなくても愛は存在しうるだろう。

「気を遣ってることは否定しないけど、それもデンデンが傷つかない方がボクにとって大事だからなんだ。なのに、キミがボクらに遠慮してたら本末転倒だよ」

「ニャン太さんがそうでも、ソウさんたちは……」

「同じだよ。愛の形ってひとつじゃないもの。
帝人なんてそもそも類ちゃんに触らないしね」

「え……」

 目を瞬くと、ニャン太さんは両の手のひらを前に出した。
 たぶん、帝人さんが手袋を付けていることを示しているのだろう。

「たぶん、潔癖症……なんじゃないかな。キスもしたことないと思う」

「ええっ!? でも、パートナーって……」

 ああ、そうか、と僕は内心頷いた。
 理解するのは難しいが、彼には彼なりの「愛」があるのだ。

「そう思うよね。ボクだって、キスもしないしエッチもしないでスキってどーゆーこと? って、わけわかんないけど。でも、10年も類ちゃんの傍にいるってことはそーゆーことなんだなーって最近は思うんだ」

  ニャン太さんは何かを思い出すように遠くを見た。

 10年は長い。
 彼らがどうしてこんな関係性になったのかはわからないが、何か特別なものがなければそれを続けることは不可能だろう。

「……そういうわけで、ボクらが類ちゃんとイチャイチャしないからってデンデンが遠慮する必要はないんだけど……だからって、じゃあエッチします! とはならないのが悩ましいよね~」

「……ですね」

「うーむ……デンデンが納得できてないうちは、類ちゃんも誘いづらいだろうし……どーしたもんかな……」

 ニャン太さんが思案げにする。
 そこに、電話を終えた類さんが戻ってきた。

「悪い。待たせたな」

 次いで、彼は僕らを見て小首を傾げた。

「……なんだよ。ふたりして神妙な顔して」

「い、いえ、何も……」

 まさか性的な話をしていました、とは言えない。
 僕は曖昧に笑ってから、無意味に喉を潤した。  と。

「ねえ、類ちゃん。今度3人でエッチしようよ」

 ニャン太さんのあっけらかんとした言葉に、僕は再びスポーツ飲料を噴き出した。

「伝!?」

「す、すみませっ……げほっ、大丈夫でっ……ごほっ」

 類さんが慌てたようにタオルで服を拭ってくれる。
 僕は平謝りした。

 ニャン太さんは問題の解決方法を言ったつもりなのだろうが……あまりに一足飛び過ぎる。
 これではまるで、僕と彼がふしだらな計画を企んでいたみたいじゃないか。

「……おい、ニャン太。あんまり伝をからかうなよ」

「めっちゃマジメだけども」

「はあ? じゃあ、なんで急にそんな話を……」

「あの、作業再開しませんか! そろそろボンドも乾いたと思いますしっ!」

 僕は無理やり話を変えた。
 まだ自分自身、落とし込めていないのだ。深く突っ込まれても困る。

「あ、ああ、そうだな」

 僕の剣幕に押されたように、類さんが頷く。
 それから僕は、話題が戻らないよう黙々と作業に勤しんだ。

* * *

 翌日、完成したデスクが僕の部屋に運び込まれた。

「場所は、ここでいい?」

「はい、お願いします」

「よいしょ――っと」

 ニャン太さんが軽々と部屋の一角に設置してくれる。元からそこにあったみたいな存在感だ。
 類さんと帝人さん、それからソウさんが興味深そうにデスクに歩み寄った。

「いい感じだな。ニスのチョイスも絶妙だった。木目もキレイに出てるし」

「うん。落ち着いた色合いで、ラックとも調和してる」

 僕は改めて部屋を眺めた。
 左右で柄の違う青いカーテン。そのすぐ横に置かれた手作りのデスク。

 ほんのりとヒノキの爽やかな香りが部屋に満ちている。

「……ありがとうございます。大事にします」

「そう言ってくれると頑張った甲斐があるってもんだ。……まあ、伝も一緒に作ったんだけど」

「引っ越し祝いを本人に手伝わせるなんて前代未聞でしょ」

「楽しかったんだからいいんだよ」

 類さんが帝人さんの胸を小突くようにする。
 と、急に僕はニャン太さんに手を引かれた。

「ね、デンデン。せっかくだしデスクと一緒にみんなで記念撮影しようよ!」

「はっ、はい……!」

「ニャン太は本当に写真がスキだね」

「今が今だけの物なんて、もったいないじゃん?」

 ニャン太さんが携帯に素早く自撮り棒を取り付ける。

 僕らは身を寄せて、掲げられた携帯を見上げた。
 こんな風に揉みくちゃにされながら写真を撮るのは初めてだ。いつも端っこの方でオマケみたいに立ってることがほとんどだった。

「それじゃあ、撮るよー。みんな笑ってー!」

 タイマーのカウントダウンが始まり、僕はぎこちなく口の端を持ち上げる。
 ……うまく笑えているだろうか。
 ふいに、不安が去来した。

 5――

 顔面の筋肉が引き攣る。
 あれ? そもそも、笑顔ってどうやって浮かべるものだっけ?

 4、3――

 ソウさんがボソリと口を開いたのは、そんな時だ。

「……椅子は」

「はい?」

「椅子、ないけど」

 僕らは顔を見合わせる。

「「「「…………あ」」」」

 次の瞬間、小気味のいいシャッター音が鳴った。




腰痛とDIY おしまい

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