秘密と嘘(3)
* * *
ソウのケガの原因を調べようと決めて、俺は次の日から動き始めた。
彼が休んでいた期間と陸上を断念しなければならないほどのケガの状態を考えれば、何らかの大がかりな処置を受けているはずだ。
彼の自宅から近く、かつ、それが可能な医療機関は自ずと限られる。
そこの整形外科には運良く叔父が勤めていたから、俺は学校帰りに叔父と会う約束を取り付けた。
向かった病院は混んでいた。
受付で叔父の名前を告げて待合スペースの椅子に座る。
参考書を鞄から引っ張り出し、目を走らせてしばらくすると、白衣を翻して叔父がやってきた。
「帝人くん。久しぶりだね」
「叔父さん……!」
俺は椅子から立ち上がり、足早に叔父に歩み寄った。
「ありがとう。忙しいところ時間取ってくれて」
「気にしなくていいよ。可愛い甥の頼みだ、何よりも優先するさ」
彼に連れられて、俺は吹き抜けの広場を横切ると併設されているカフェに入った。
「何飲む?」と叔父さん。
「じゃあ、冷たいウーロン茶で……」
叔父さんはレジでウーロン茶とアイスコーヒーを頼むと、奥まったテーブルに座る。
ついで、穏やかな表情で対面に座る俺に向き直った。
「それで、どうしたんだい? 受験の悩み……ってわけじゃないんだろう?」
「うん。その……ケガした同級生のこと調べてて。ほら、ここの病院ってうちの学校の生徒も良く来てるから、彼のケガのこと何かわかるんじゃないかと思ったんだ」
「もしかして……汐崎くんのことかな?」
「えっ……」
息を飲む俺に、叔父さんは小さく溜息をついた。
「やっぱり。なんとなく帝人から連絡が来た時、彼のことなんじゃないかな、とは思ってた。学校も学年も同じだったからね」
落ち着いた店内BGMが流れる。
それにカフェに置かれたテレビの声が重なる。
叔父はテーブルの上でゆったりと手を組んだ。
「……彼は帝人くんの友達?」
問いに俺は頷いた。
「仲良くしてたんだ。1年の頃から。だから、急に辞めるって聞いてショックで……」
「そうだったんだね」
ドリンクが運ばれてくる。
叔父はアイスコーヒーにガムシロップを落としマドラーでかき混ぜながら、口を開いた。
「ケガの状態は、右の後十字靱帯断裂。あと、半月板もかなり損傷していて即手術が必要な状態だった」
「そんなに……悪かったの」
「本人は大したことないと思ってたみたいでね。ご両親が連れてこなかったら我慢するつもりだったって聞いて驚いちゃったよ。酷い痛みだったろうに」
「なんでケガしたかとか知ってる?」
「自主練してて転んだって言ってたね」
「こ、転んだ……?」
「うん」と、叔父はグラスを傾ける。
「帝人くんだから話したけど、本来、患者さんのことは口外してはいけないことだから。黙っていてね」
俺は詰めていた息を長く細く吐き出した。
「……わかってる」
全身から力が抜けた気がした。
陸上をしている彼がケガをするとしたら、練習中の可能性が1番高いのは当然のことだ。
それなのにケガの原因を調べるだなんて、俺は一体、何が原因だと考えていたんだろう。
「聞きたいことはそれだけ?」
「ありがとう、叔父さん」
俺は顔を上げると力なく笑った。
「それじゃあ、私は仕事に戻るよ」
叔父が伝票を手に席を立つ。
踵を返そうとした彼は、ふいに動作を止めた。
「……あのさ、帝人くん」
「なに?」
「いや、その……帝人くんの学校、イジメとかは大丈夫なのかなと思って」
「え……?」
全くの予想外の言葉に、俺は目を瞬く。
「それ、どういうこと? 叔父さんは、ソウのケガが練習の事故じゃないと思っているわけ?」
「ああ、いや、ただ気になっただけだよ。ほら、最近、ニュースでよく見るから」
そう言って、彼はカフェのテレビを目で示した。
そこにはイジメを苦に自殺した中学生のニュースが映っている。
叔父はひらりと手を振ると、今度こそ店を後にした。
俺はぼんやりとテレビから聞こえるコメンテーターの声に耳を傾けながら、薄まったウーロン茶を口に含んだ。
どうして叔父の口からイジメなんて単語が出てきたのだろう。
ちょうどテレビに映っていたから?……本当にそれだけだろうか?
もしもテレビだけが理由じゃないのなら……
俺はひんやりとしたグラスを両手で包み込む。
つ、と水滴がグラスの表面を流れて、下のコースターに吸い込まれた。
叔父は、ソウの自己申告を疑っている?
例えばソウのケガの状態に人為的な可能性を見たとか……
指先から、冷たさが身体の中に侵入してくる感覚。
俺は頭を振ると、ウーロン茶を飲み干して店を出た。
それから落ち着かない気持ちのまま予備校に向かった。
* * *
翌日、俺は陸上部に話を聞きにいったが、ソウがイジメにあっていたなんて話は片鱗すら見つけられなかった。
ソウのことを気に入っていない様子だった3年生たちも、突然のエースの引退に意気消沈していて、逆に何があったのか教えてくれと頼まれたくらいだ。
クラスメートの反応も似たものだった。
そもそも、もしソウがイジメにあっていたとして、一緒にいた俺たちが気付かないわけがないのだ。
叔父さんが見当違いなことを言っていた可能性はあるが、それでも胸の靄は晴れない。
* * *
そんな思いを抱えながらも勉強していたある日の深夜、自室の扉が鳴った。
「帝人、ちゃんと勉強してる?」
そう言って部屋に入ってきたのは、母だ。
香水の華やかな香りが鼻先をくすぐる。
俺は問題集から顔を持ち上げると、苦笑した。
「してるよ。わざわざ心配になって見に来たの?」
「だって、そろそろ期末試験だから。……今度こそ頑張ってね」
いつも頑張ってはいるんだけどな、と心の中でひとりごちる。
けれど仕方がない。入学してからずっと学年1位を取り逃している俺に、彼女は失望しているのだから。
母は、少し形の不格好なおむすびがふたつ乗った皿を俺のデスクに置くと言った。
「しっかり勉強するのよ。あなたは本番に弱いんだから、普通の人よりも2倍も3倍も頑張らなくちゃ。じゃないと、また高校受験の二の舞になっちゃう」
「ちゃんと頑張るよ」
「約束よ? 来週には三者面談もあるし……お母さんに恥をかかせないでちょうだいね」
「うん……」
まだ何か言いたげな彼女に、俺は少し俯いた。
「……心配かけてごめんね、母さん」
「帝人……」
ポツリと呟けば、彼女は俺を抱きしめる。
強い香水の匂いに眉根が寄った。
「可哀想な帝人。不安にならなくていいわ。結果を出せば、お父さんも認めてくれるから」
そう励ますように言うと、彼女は部屋を出て行く。
俺は扉がきっちりと閉まるのを確認すると、椅子の背もたれに身体を預け、長い溜息をついた。
今すぐ窓を開けて匂いを逃がしたい衝動に駆られたが、椅子から立ち上がるのも面倒だ。
――父と同じ大学に入り医者になる。
そのためだけに俺は産まれたと思っていたけれど。
蓋を開けてみれば俺の存在自体が不要だった。
父にはもうひとつ外に家庭があるし、そっちの兄は俺よりもっとずっと優秀だったから。
今さら父に認められたいとも思っていない。
そう思っているのは母だけだ。
瞼を閉じて、深呼吸を繰り返す。
気分転換にさっきまで解いていたのとは別の問題集を引っ張り出して、シャープペンシルを手に取った。
適当に手にしたそれは数学の問題集で、俺はふいに過った考えに低く笑った。
ソウにどう点数を取らせてあげようか、とか自然に考えていたのだ。……もう彼はいないのに。
そういえば、今日は類ともニャン太とも話さなかったっけ。
来週は三者面談か。面倒だな……
いろいろなことが頭に浮かんできて、落ち着かなくなってくる。
高校生活、そこそこ楽しんでいたのに……どうしてこんなことになってしまったんだろう。
真っ直ぐにゴールを見据えていたソウの強い眼差しだとか。
類の晴れ渡るような屈託のない笑顔だとか。
じゃれて、すねて、膨らませたニャン太のほっぺただとか……
全部、とても遠くなってしまったように感じる。
シャープペンシルを握る手に、力がこもった。
問題集に母の曇った表情が浮かび上がってきて、俺は手を叩きつけた。
ペンを突き刺すように何度も……1度、2度……5度目くらいでシャープペンシルは割れて破片が飛び散った。
「あーあ……安物だったからな」
短く溜息をつく。
それから俺は折れたペンをゴミ箱に放った。
手のひらに刺さった破片を指先で抓んで捨てて、ティッシュで軽く血を拭い、別のペンを筆箱から取り出すと改めて問題に向き合う。
こんなにつまらないテスト勉強は、初めてだった。
* * *
引き続きソウのケガについて調べたものの、もう真新しい情報が出てくることはないように思えた。
その考えが覆されたのは、翌週の三者面談の日のことだ。
俺は思わぬ人物から、ソウのケガに繋がる手掛かりを入手することになる。