ファミリア・ラプソディア

ピアスと家族(2)

 口に出すと、曖昧だった記憶がクリアになっていく。

 あれは去年の夏の日のことだ。
 僕は体調不良らしき男性に声をかけた。
 その人は目深に帽子を被っていて、ピアスを付けていた――そう、この赤い蹄のピアスを。

「え、あれ、類さんだったんですか!?」

「……何のこと」

「でも、あなたと同じピアス付けてましたよ。髪の色だってキレイなワインレッドで……」

 類さんは罰が悪そうに嘆息した。

「……思い出すなって言ったのに」

 確かに随分と印象が違った。いや、体調不良だったのだから仕方がないのだが。

「そうだよ。あんたにゲロぶっかけた男は俺だよ」

「そんな言い方……。あれは仕方ないことですよ。体調が悪かったんですから」

 言えば、類さんはフッと噴き出した。

「あれをそう言えるって、やっぱ伝は凄いよ」

「凄くは……ないと思いますけど」

 戸惑った僕の髪を類さんは荒々しくかき混ぜる。

「凄いんだって。
 大多数はさ、体調悪そうなヤツがいたって関わろうとはしないんだ。
 時間とられたり、面倒事に巻き込まれたりすんのイヤだろ。
 なのにあんたは声かけてくれて、一緒に次の駅で降りてくれて、服汚した俺に少しも嫌な顔しないで、ずっと背中さすっててくれた」

 頬を両手で包まれる。
 それから類さんは鼻先をくっつけると、目を閉じた。

「あの日からさ、電車乗るといつも伝のことを探すようになってた。でも、見つけられるわけがない。どの駅で乗るかも知らねぇし。
 流石にもう会えないのかって諦めようとしてたら……バーでたまたまあんたを見かけたんだよ。あの時ばかりは、いるかいねぇかわからない神様に感謝した」

「どうして、すぐに声をかけてくれなかったんですか」

「数年来の恋に夢中だっただろ? ほら、マスターに恋愛相談してたトモダチ……だから、しばらく様子見しようと思ったんだ」

 確かに……去年、類さんに声をかけられても何とも思わなかったかもしれない。

「実はさ、あんたがバーから帰る時、少しだけ後つけたりしたんだよ」

「え、そんなことまで?」

「笑うよな。高校生かよって。
 それで倒れたチャリ直したり、道端で酔い潰れてる他人の介抱したり、落とし物一緒に探してやったりするあんたのこと見てるうちに……とびきり優しいあんたに夢中になってたんだ」

 類さんはニッと口の端を持ち上げる。

「いっつも自分のことは後回し、何にでも遠慮して、健気で、寂しそうで……そんなヤツをドロドロに甘やかしたら、楽しいだろうなって思った。あんたがどんな顔するのか考えただけでワクワクしたよ」

 嬉しいけれど……目映い笑顔を真っ直ぐ見つめ返せない。僕はゆるりと首を振った。

「類さんは……誤解してますよ……」   「誤解? 何が?」

「僕は優しいわけじゃないです」

 いわゆる『良いこと』をしているのは、自身に良いことが返ってきて欲しい下心からだ。
 遠慮しているのは、単に自分の意思を告げられない弱さである。
 それは、彼のいう優しい人物像から最もかけ離れているだろう。

「もし、その優しいという理由で好きになってくれたのなら――すぐに、失望するかもしれません」

「しねぇよ。俺は自分の目で見て、感じたことを信じてる。
どう否定しようが、俺にとってあんたはドがつく優しいヤツだよ。
あの日、あんたが声をかけてくれて……俺がどれだけ安心したか」

「類さん……」

「好きだよ、伝」

 鼻の奥がツンとする。
 こんな言葉を自分が耳にするとは思ってもみなかった。……僕には何もないから。
 まともに友人ひとり作れない、ツマラナイ男だから。
 だから……自分は誰にも愛されず、このまま年老いていくのだと諦めていた。
 なのに類さんはこんな僕を好きだと言ってくれる。

「ありがとうございます……」

「なんでありがとう?」

「だって、こんな……僕なんかのこと、好きだなんて……」

「あんたは魅力的だよ。ただ、周りに見る目のあるヤツがいないだけだ。
 ……まあ、そのお陰で、俺がこうして側にいられてんだけど」

 頭を抱き寄せられる。
 髪をもてあそぶ彼の指先が心地良い。

「伝は、あんまり自分のこと好きじゃねぇの?」

「大嫌いです」

 ハッキリ告げると、類さんは勢い良く身体を起こして僕を見下ろした。

「なら、俺があんたの魅力をたくさん教えてやる」

「え……そ、それはっ……」

 恥ずかしい。から、やめて欲しい。
 そう続ける前に、

「性格は言わずもがなだけど、伝はとにかく笑顔が可愛いよな」

「え、笑顔?」

「いつも寂しそうな顔してるから尚更、ふとした時の笑顔がめちゃくちゃ愛おしくなる」

 顔が熱い。せっかく褒めてくれているのだから否定はしたくないが、肯定するのも気恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。

「あと、泣き顔はとびきりエロい」

「エロっ……」

「自覚ない? 昨日の夜、めちゃくちゃ色っぽかったよ」

「……じ、自分では見えませんからね」

「じゃあ、今度見えるようにしてやるか」

「……っ」

 息を飲む。
 そんな僕に類さんは悪い笑顔を浮かべて言った。

「今、ナニ想像した?」

「な、何のことでしょう?」

 顔を背けて、すっとぼける。
 すると、類さんは唇が触れるほど僕の耳朶に顔を寄せてきた。

「――エッチ」

「~~~~~ッッ!」

 ねっとりとした囁きに、ボンッと顔が爆発したかと思った。

「はは。ホント可愛い。……可愛すぎて困る」

 頬にキスをされる。僕は軽く彼の胸板を拳で叩く。

「もう……からかわないでくださいよ……」

「怒った顔もいいな。セクシーだ」

 僕は無意味に口をパクパクさせた。
 きっと何を言っても彼は微笑んで、キスをしてくる気がした。

 どうしよう。こういう時、どんな顔をすればいい?
 熱い。恥ずかしい。ああ、もう……類さんが好きだ。

 僕は腕を顔の前で交差させた。
 それを類さんは優しく退けると、顔を覗き込んでくる。

「んっ……!」

 また、唇が触れる。
 もっとして欲しくて、僕は瞼を閉じた。
 昨日からキスのしすぎで唇が熱を持っていたが、構わず僕らは口付けを繰り返す。

「はぁ、あ……類さん……っ」

 頬を両手で包まれ、口中を貪られる。
 僕は必死で舌を突き出し、それに答える。
 甘やかな唾液を飲み込み、足を絡め――

 ふと、類さんが唇を離したかと思えば、そのまま倒れこむようにして僕を抱きしめてきた。

「……類さん?」

 不思議に思っていると、彼はしばらくの沈黙の後、躊躇いがちに口を開いた。

「……あの、さ」

「はい?」

 僕は静かに言葉の続きを待つ。

「…………会って欲しい人がいるんだ」

「会って欲しい人? 誰ですか?」

「あんたのこと、家族に紹介したい」

 告げられた言葉に、一瞬、思考が停止する。  え、家族?

「家族……っ!?」

 続いて、僕は素っ頓狂な声を上げた。

「ま、待って下さい。話が急過ぎませんか!?」

 類さんは答えない。
 僕の肩口に顔を埋めるようにしているから、どんな表情をしているかもわかない。

 僕は彼の綺麗なワインレッドの髪を見下ろした。

 家族に紹介ってことは、結婚前提でのお付き合いみたいなもの……だろう。
 そんな風に考えて貰えることは嬉しい。
 嬉しい――が。
 展開が早すぎはしないだろうか……?

「ぼ、僕だって、その、軽い気持ちであなたとこういった関係になったわけではないんです。ですが、その……っ」

 恋愛経験皆無の自分には判断する比較対象がない。
 もしかしたら、これが普通なのかもしれないし、違うかもしれない。
 だが、身体の関係を持つならそこには責任が伴うだろう。それに結婚は勢いだと――正確には結婚するわけじゃないが――何処かで聞いたことがある。気がする。

 本当に?
 本気にご挨拶なんてして、いいのか?
 これは、何かのドッキリ企画とかじゃないのか?

 彼との未来を考えて、そんなことを口に出して『重い』『鬱陶しい』とか思われたら嫌だと……でも、もしもそれを彼自身が望んでくれているとしたら。

「……すみません、取り乱しました」

 僕は類さんの髪に頬を寄せて、口を開く。
 すると彼は僕の肩から顔を離し、困ったように笑った。

「いや、俺の方こそごめん。急に言われても困るよな」

「そんなことないです。真剣に考えて貰って僕は幸せ者です」

 僕は類さんの頬に手を伸ばす。

「会います。ご挨拶させて下さい」

 ハッキリと告げれば、彼は目を瞬いた。それからくしゃりと笑う。

「……あんたなら、そう言ってくれると思ってた。すげー嬉しいよ」

 目映い笑みに、胸が甘く苦しく痺れた。
 ああ、類さんが好きだ。大好きだ。

 僕は彼が喜ぶならなんだってしよう――そう思った。

* * *

 目が覚めてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 カーテンから差し込む陽光が、床に長く落ち、エアコンのクーラーの風の音に淫らな水音が重なっている。

「類さん、そこっ、ぁ、ダメ、ダメ……っ」

 僕はすっかり淫靡な行為にハマっていた。
 コンドームは昨晩と合わせて、2箱目に突入している。

「イケよ……ほら、たくさん、突いてやるから……」

 そう言って、類さんは僕の両足を肩まで抱え上げ、垂直に腰を落とすようにする。

「あぁああっ……!」

 激しく最奥を抉られ、丸まった爪先が宙を蹴った。
 目の前が真っ白になる。穴口がビクビクと痙攣する。けれど類さんは動きを止めてくれない。

「やっ、もうっ、はっ、ぁ、息できなっ……」

 見上げた類さんの前髪から、汗がポタリと落ちる。

「る、類さっ、あっ、あぁっ……怖、い……こんな、ンッ、んぅ、気持ち良過ぎて……ぁ、おかひくなっ、る……っ」

「伝……可愛いよ……」

 類さんがうっとりと言う。
 僕は夢見心地で揺すぶられた。

 ああ……今を切り取って、宝箱に詰めて鍵をかけてしまえたら。
 いや、もういっそ……このまま死んでしまいたい。

「ま、また、僕……出ちゃ……ぁっ……!」

 類さんに指を絡め、僕は再び快楽の階段を駆け上る。
 噛みつくような類さんのキスに、背がしなった――

コンコン

 絶頂に飛ぶ間際、扉をノックする音が耳に届いた。

――え?

 僕はギョッとして扉の方を見やる。
 類さんも動きを止めていたから、音は僕の聞き間違いではないようだ。

「類さん。今、誰か……」

「……気にすんな」

 類さんが再び動き始めようとする。
 僕はそんな彼の胸板を押した。

「む、無茶言わないで下さいよ。誰かがノックを――」

 言葉の途中で、

コンコン

「るーいーーちゃーーーん!」

 今度は、類さんを呼ぶ声まで聞こえてくる。
 あーそーぼー、と続きそうな元気で明るい声だ。

 僕はパニックに陥って、類さんを押し退けた。

「おわっ……!」

 一人暮らしだと思い込んでいたが、他に誰かいたってことか?
 確かにひとりで住むには広すぎる部屋だとは思ったが、でも……でも……

「入るよー」

 その時、信じられないことに、ガチャリとドアノブが回った。

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